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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)15807号 判決 1987年11月27日

原告

上田武司

被告

千代田火災海上保険株式会社

ほか一名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告千代田火災海上保険株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告幸田秀博(以下「被告秀博」という。)及び同幸田弘(以下「被告弘」という。)は、各自、原告に対し、九六七万円及びこれに対する昭和五九年二月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被告ら

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和五九年二月八日午後一一時一五分ころ、被告秀博運転の普通乗用自動車(足立五八の五〇三八、以下「加害車」という。)が東京都江戸川区松島三丁目一五番地先路上を走行中、道路端のリヤカーに衝突し、更にそのはずみで右リヤカーが傍らに立つていた訴外上田明(以下「明」という。)に衝突し、転倒した明は、加療約七週間を要する右大腿骨骨折の傷害を負つて、松江病院に入院し、治療を受けたが、同月一二日午後一〇時四五分ころ死亡した。(以下「本件事故」という。)。

2  因果関係

明の直接死因は、アルコール性肝障害と診断されているが、本件事故による右大腿骨骨折は全治七週間を要すると診断されていた程のものである。明は、既応症のアルコール性肝障害に加え、右受傷によるシヨツクとともに急激かつ全身的な衰弱、更に栄養の低下とともに急激な肝機能の低下を来して死亡したものである。

3  責任原因

(一) 被告秀博は、本件事故当時加害車を自己のため運行の用に供していた者であり、同弘は加害車の保有者であつて、同秀博と同居の父親であり、同被告の加害車の運行を支配していたものであるから、いずれも自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条により、本件事故により生じた原告の損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告会社は、加害車につき、被告弘との間で自動車損害賠償責任保険(以下「本件自賠責保険」という。)を締結しており、自賠法一六条一項に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 慰藉料 一三〇〇万円

原告は、家庭の事情で家業の農業を長男正一に継がせ、明には高校入学の機会も与えてやることができず、中学卒業後上京の上工員として働かせていた。その後、明は、帰郷、上京を繰り返し、昭和五〇年以降は東京で工員、人夫、廃品回収業等に転々と従事していた。原告は、このような明が不憫でならず、常日ごろから同人の将来を心配していた。

したがつて、本件事故による明の死亡は、原告に多大の精神的苦痛をもたらしたものであり、これを慰藉するには一三〇〇万円をもつてするのが相当である。

(二) 葬式費用 七〇万円

原告は、明の葬式費用として七〇万円を支出し、右相当の損害を被つた。

(三) 明の逸失利益の相続 一三七五万円

明は、死亡当時三八歳の独身男子であり、廃品回収業に従事していたが、定職といえるものではなかつた。そこで、自動車損害賠償責任保険の支払基準に基づき、年収を一八歳男子の月額収入である一三万円とし、就労可能年数を六七歳までの二九年、生活費控除率を五〇パーセント、中間利息控除につき新ホフマン方式(同係数一七・六二九)を採用して、その逸失利益の現価を算定すれば、次式のとおり一三七五万円(万円未満切捨)となる。

13万円×12×0.5×17.629≒1375万円

原告は、明の唯一の相続人であり、明の右逸失利益相当の損害賠償請求権を相続により取得した。

(四) 弁護士費用

原告は、本訴の提起、追行を原告代理人に依頼し、着手金として五〇万円を支払つたほか、報酬として一七二万円の支払を約束し、左相当の損害を被つた。

5  よつて、原告は、前記損害の回復のため、被告らに対し、請求の趣旨記載の各金員の支払を求める。

二  被告らの認否

1  請求原因1(事故の発生)は認める。

2  同2(因果関係)は争う。ただし、明がアルコール性肝障害に罹患していたことは認める。

3  同3(責任原因)につき、被告会社はすべて認め、被告秀博、同弘は(一)につき認める。

4  同4(損害)は不知。

5  同5の主張は争う。

三  被告らの主張

明は、本件事故による入院時も飲酒のため酩酊しており、入院二日目の昭和五九年二月一〇日ころからアルコール性禁断症状が顕れ、夢遊病者的行動を呈するようになり、翌一一日には更に症状が著明になつて、幻覚、異状行動をとり始めたため、集中管理室に移して治療したが、一二日に死亡したものである。このように、同人は、本件事故前から心臓、腎臓の各肥大、アルコール性肝障害の既応症があつたところ、入院後アルコール中毒の発作が昂じて心不全を起こし、死亡するに至つたものであつて、右死亡が本件事故と因果関係のないことは明らかである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件事故と明の死亡との因果関係について判断する。

明が本件事故により加療約七週間を要する右大腿骨骨折の傷害を負つたこと、本件事故当時アルコール性肝障害に罹患していたこと、松江病院入院中本件事故から四日目に死亡したことは当事者間に争いがないところ、右事実にいずれも成立に争いのない甲二、三号証(共に原本の存在を含む)、乙一ないし三号証、九ないし一四号証によれば、明は本件事故当時廃品回収業のようなことをしていたが、定つた住居はなく、いわば浮浪者に近いような生活を送つていたこと、右大腿骨の骨折は安静、加療約七週間を要する程度のものであつたが、入院後全身衰弱が強く、酸素吸入などが施され、全身症状は一たん良化したものの、入院三日目の昭和五九年二月一一日、アルコールの禁断症状のため、大声をあげて暴れたり、けいれんを起こすなどの不穏症状が出現し、翌一二日昼間は一時全身症状に良化がみられたが、幻視、幻聴なども伴う不穏症状はなお続行し、抑制帯で固定措置が採られたが、これをすべてはずすなどして暴れるうち、同日夕方から全身症状が著しく悪化し、種々の救命術が施行されたがその効果がないまま、同日午後一〇時四五分死亡するに至つたこと、本件事故による受傷は通常は到底死亡に結びつくようなものではなく、死因は心不全と診断されたが、なお事故による影響の有無を確認するため解剖検査が行われ、その結果、主病変として慢性アルコール性肝障害(肝臓が腫大のうえ黄色調著明を呈し、肝細胞内に大滴性小滴性の混合する脂肪変性が認められるなど)、副病変として心臓肥大(肥大のほか、冠状動脈、その他の動脈に二〇ないし五〇パーセントの狭窄を伴う動脈硬化症がみられる)、肺のうつ血水腫(両肺共うつ血著明、一部肺胞内出血がみられる。脂肪染色で明らかな脂肪塞栓は認められない)及び右大腿骨骨折(右大腿骨膝上一五センチメートル付近の骨折)が確認され、以上の解剖所見に基づき監察医は明の死亡はアルコール中毒によるものとの判断を下していることの各事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実に基づき検討するのに、明の骨折は通常はおよびシヨツク死などの大事に結びつくほどのものではない上、現にこれを窺わせるに足りる病変は認められず、かえつて、前記入院時からの症状の変遷及び解剖所見は、監察医の結論にみられるように明の死亡が同人自身の既応症によることを示しているのであつて、本件事故から同人の死亡までの時間的近接性を考慮しても、本件事故と同人の死亡との間に法的見地からする相当因果関係が存在することにつき、通常人が合理的疑いを差しはさむ余地がないほどに高度の蓋然性のあることの証明があつたものと認めることはできないものといわざるを得ない。したがつて、本件事故と同人の死亡との間には、相当因果関係があるものとは認められない。

三  ところで、被告らが本件事故につき損害賠償責任を負うことは被告らの自認するところであり、したがつて、被告らは明に生じた人身損害を賠償すべき責任があるというべきところ、原告が本訴において請求する損害は明の死亡を原因とするものであり、弁論の全趣旨からも傷害による損害(死亡時までのもので数万円程度が見込まれる)の賠償を求める意思はうかがわれないから、明の死亡が本件事故によるものと認められない以上、原告の右損害賠償請求は結局理由がなく、失当といわざるを得ない。

四  よつて、原告の本訴各請求は、その余について判断するまでもなく、いずれも理由がなく失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

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